
ビール工場(現・サッポロファクト リー)から北に、鉄道線路まで。そして東へは苗穂駅―。このあたりにおさまるエリアは明治から、開拓使以来の工業地帯を支えるように、たくさんの町工場や倉庫、資材問屋などが軒をつらねていました。多くは職住一体の住まいで、人の出入りの絶えない商店や銭湯、医院などが地域の暮らしを支えていました。 札幌全体で見ても一帯はユニークな成り立ちを見せていて、碁盤の目がやや崩れ、南北の道路が狭く不規則だったのです。行政が細部まで計画した街並みというよりも、人びとの暮らしが自然に作ったまちと言えるでしょうか。昭和30年代までは、たくさんの細い路地がさまざまな家族の営みを縫い合わせるようにつながり、北3条通りを走る市電苗穂線が地域を都心と結んでいました(苗穂線は1971年10月廃線)。 路地がほとんどない整然とした街区がフラットに広がる札幌で、この一帯には人間の体温や喜怒哀楽がいきいきと脈打っていたといえるかもしれません。 苗穂駅と北ガス跡地周辺には現在再開発プランが動き出していますが、岩佐ビルはその東、計画外のエリアとなります。つまりここは、そうしたまちの匂いが、まだかすかに残っている土地。そんな魅力にひかれるように、近年岩佐ビルの周辺にはギャラリーやカフェなどが少しずつ集まってくるようになりました。人間の顔をしたまちの毎日は、岩佐ビルをさらに岩佐ビルらしくしてくれそうです。
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