岩佐ビルは、戦後復興期に各地で取り組まれたヴァナキュラーな(土地固有の)近代建築として、あわせてその時代における工業からオフィスビルへの転用例としてもユニークな成り立ちが注目されてきました。
工場からオフィスへの転換が行われたのは、札幌都心にまだテナントビルがほとんどない時代でした。初期に入居された事務所は、本州大手企業の北海道進出前線基地といった感があり、多くの事務所が、やがて自社ビルを建設するほど順調に成長していきました。札幌の経済史の上でも、岩佐ビルは興味深い事例をいくつも提供しています。
ラムネ工場の最盛期には250人以上の女性工員が製造ラインで働きましたが、創業者の岩佐‥は家族的な職場づくりを心がけました。テナントビルとなってもその精神が生かされ、テナントとビルの関係にはつねに信頼と親愛がありました。
戦後の混乱期は、設計事務所や建設会社による建築がまだ今日のようにはシステム化されず、施工も自前の技術で取り組んだことを先述しましたが、管理やメンテナンスにおいても同様でした。
それは今日でも継承され、岩佐ビルでは、さまざまな技術と経験を持つベテランの管理人が24時間常駐して、すみずみまで手入れの行き届いた空間を維持しています。岩佐ビルを今日ユニークなテナントビルたらしめているのは、歴史や建築デザインばかりでなく、館内の時間と空間にいきわたっている、建築へのこうしたふるまいなのです。